ハイブランド買取物語10 ヴァンクリーフのロッククリスタル 中崎夫婦の場合
「海外赴任!?最低3年!?」
ダイニングテーブルの向こう側から妻の美帆が叫んだ。
声が響いてワイングラスが揺れた。
「俺だって今日聞いたんだよ」
妻の剣幕を非難するように、雷人(34)はブランデーを煽った。
避けられない海外赴任
「そんな、結婚3ヶ月で!?このマンションだって買ったばっかりなのに!?」
「仕方ないだろう、会社の決定なんだから」
「他の人に代わってもらえないの?」
「無理だ」
雷人も最初は上司に詰め寄った。
自分以外に適任がいるのでは、と。
しかし言った側から理解してしまった。自分以外に適任は、いない。
人員整理として相当数が会社から消えていった。
それも、優秀な人材から。
「私、もうすぐ昇格するのよ?」
「……別居する?」
「結婚3ヶ月で!?3年間も!?あんたおかしいんじゃないの!?」
ダイニングテーブルが力一杯叩かれた。
ワイングラスが倒れて赤い液体がこぼれ落ちる。
「……ちょっと考えさせて……」
力なく部屋を出ていく妻の後ろ姿を、ただ目で追うことしかできなかった。
嫌いじゃないから別れるという選択

美帆はいわゆる仕事人間だ。
仕事の話をしている時のキラキラした表情が眩しくて、雷人から猛アタックして結婚までこぎつけた。
美帆とはこの先も一緒にいたいけれど、だから仕事を辞めろとは口が裂けても言えない。
彼女の輝きが失われてしまうことが分かっているから。
離婚に、なるだろうか……
美帆が折れて退職するとしても、この先きっと元気がなくなってしまうだろう。
それは雷人の望むところではない。
雷人も雷人で、仕事を辞めるつもりは毛頭ない。
日本と他国を繋ぐこの仕事は自分の天職だと思っている。
でも、美帆と別れるくらいならいっそのこと転職しようか……
幸い、同業他社は山のように存在するし、雷人はそこそこデキるビジネスマンだ。
転職してもなんとかなるだろう。
ノロノロと体を動かして溢れた赤ワインを拭いた。
離婚するにせよしないにせよ、もうこのままではいられないだろう。
夫婦で出した結論

ある日帰宅すると、美帆が仁王立ちで待ち構えていた。
「話し合いましょう」
「……分かった」
ついに来てしまった。
雷人は内心ビクビクしながら美帆についていく。
いつかのようにダイニングテーブルを挟んで座ると、美帆から切り出してきた。
「準備できたから」
「うん、美帆の判断なら、しかたな……え?」
てっきり離婚を切り出されると思い込んでいたため、思いもよらぬ言葉にぽかんと口を開けてしまった。
「だから、準備、できたから」
「いや、何の」
「何のって」
呆れた、とでも言わんばかりに肩をすくめる美帆。
「独立する準備ができたってこと」
断捨離はお早めに

今日は夫婦揃って家の断捨離に勤しんでいる。
捨てるものはゴミ袋に詰め込んで、持っていくものはより分けて。
持っていかないけど捨てられないものはお互いの実家に送る荷物に詰める。
「あっ電話。もしもし」
時折、美帆の電話が鳴り、隣の部屋に移動する。
相手は美帆のお客さんだ。
今はまだ会社の有給期間中だが、退職すれば個人事業主として活動することが決定しているのだ。
美帆の職業はイラストレーター。
「独立しちゃえばどこでも働けるわ!会社っていう枠組みにも飽きてきたところなのよ」
あの日、美帆はこう言って雷人についていくことを選んでくれた。
キャリアを捨てるのはなかなか難しい決断だっただろう。
独立しても安定した地位が得られるかは未知数だ。
それでも自分といるために新たな道を選んでくれたことに、雷人は感動した。
査定に出して新生活が豊かに
不用品のうち、ブランドものや貴金属は売却することにした。
良い値段で売れたら、赴任先で少し良い家具を買おう。
ネットで調べると銀座に買取専門店があったので、デートついでに店に立ち寄る。
独身時代から使っていたブランドウォレットなどをまとめて査定に出した。
査定額は想像以上に高額で、期待していなかった分、かなり得をした気分になった。
売却した中には、ヴァンクリーフのロッククリスタルブレスレットが含まれていた。
査定額は200万円。
中古とはいえこれほど高値で売れるとは。
このブレスレットは雷人が美帆にプレゼントしたものだった。
だが「もうつけないから売却してもいいか」と聞かれたのだ。
もちろんOKした。
これくらいで美帆のキャリア断絶と相殺できるなら安いものだ。
それに、プレゼントはまた買えばいい。
これからも山あり谷あり

不用品を売却して店を出る。
後ろでは店員がまだ頭を下げてくれていた。
さあ、デートの続きだ。想像以上に臨時収入が入ったから、豪華なデートにできそうだ。
美帆の手を握ると、彼女も握り返してきた。
「これでようやく渡航できそうだね」
「あ、マンションどうする?」
「どうしよ……両親に住んでもらっとく?」
「後で揉めそうじゃない?」
赴任先でうまくやっていけるかどうか分からない。
日本を離れるまでにも問題が山積みだ。
それでも、雷人の心は軽かった。
美帆がいてくれさえすれば、何でも乗り越えられそうな気がした。
